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これは1929年にトルコのコンスタンティノープルで発見された地図である。

1513年に作られたものだとわかった。

この地図は1513年に複写をされたもので本物の地図は
なんと紀元前400年頃だといわれている。

この地図はピリレイスの古代地図と呼ばれているのだ。

ピリレイス地図では驚くべきことが記述されている。

それは・・・


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遥か昔に南極大陸が発見されていた

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南極大陸は1820年にアメリカ人でアザラシの漁師をしているナサニエル・パーマーが発見したことで人類の地図にこの土地が加わったのだ。

それでも1820年であり

紀元前4世紀の頃に書かれたピリレイス地図ではもう発見されたことになっている。

ピリレイス地図の不思議なところは正確に南極大陸が書かれているので

当時から大陸などを正確に量る技術があったということだ。

地図を作った日本人として有名なのは伊能 忠敬であろう。

伊能忠敬は1800年から1816年の16年間で全国を歩き回り、正確な地図である「大日本沿海輿地全図」を書いた。

やっと日本の地図が出来たのが1800年の事であり、それよりも2200年も遥か前から世界地図が書かれていたのは驚きであろう。


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南極大陸の昔は??

とある説がある。

地球の地軸がもっと右側に傾いていて、それがなにかのきっかけで今のような地軸なったのではないか?という説である。

もしこれが本当だとすると南極大陸はいまよりも暖かく人が住めるような場所であった。

赤道近くに南極があったらもちろん人は住むことができるし自然は豊かな土地であったはずだ。

なので氷で閉ざされるようになる前の大陸の様子がピリレイスの古代地図に描かされているのではないだろうか?

そのように考えるとピリレイスの古代地図は遥か彼方昔である。

ピリレイスの古代地図が書かれたとき、紀元前400年前にはもっと地球の軸はずれており、なにかの拍子でいまのような角度になり

南極は一気に氷の土地へと変化してしまった。

このように考えるのが普通ではないだろうか?

確かにいまの南極大陸は紀元前300年ごろから形成されるようになったと研究調査で解っている。

ということはたったの100年の間で

自然が豊かな土地が氷付けされてしまったということだ。

なにかの拍子にこれほどまでに気温と環境が変化することはあったのだろうか?

もしこれから南極大陸への調査が進み、「かつてそこには人が住んでいた」という証拠がみつかったとしたら

ピリレイスの古代地図は本物だったという結論が付けられるだろう。

人骨や遺跡などが見つかった場合はこれまでの人類史を見直さないといけなくなるだろう。