戦国武将の中でもその存在は特別であり、あの武田信玄から一目おかれ
戦いの神様と言われた上杉謙信は実は女だったのではないか?と言われている。
結論から言うと、上杉謙信が女だった可能性は非常に高い。その噂の真相を突き止めていきたい。
ー上杉謙信プロフィールー
出身地 新潟県
生誕 1530年2月18日
死没 1578年4月19日
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八切止夫が提唱
八切止夫が提唱し始めたのがきっかけで佐渡金山の報告書に関して上杉景勝の叔母が佐渡金山に関して莫大な金を持っているとの記載があり、
その叔母というのはじつは上杉謙信ではないか?と疑い始めたのがきっかけである。
八切止夫がいきなり提唱をしたのではなくてゴンザレス報告書というスペインの使者が日本に訪れてその近況を当時の王朝に報告した報告書にこのような記載があったのだ。
それを八切止夫が徹底的に調べ上げた時に上杉景勝の血筋で当時生きていた人物はいなく、上杉謙信しか該当しないことがわかり、女性説を唱えるようになったのだ。
ゴンザレス報告書では、上杉謙信を「叔母(Tia)」と書かれている。
もちろん記載ミスの可能性もある。
スペイン語で叔母はtia というスペルだが、叔父はtio。
アルファベットの「a」と「o」を書き間違えたことによってこのような誤解が生じてしまった可能性も否定はできない。
しかし女性説を唱えるのはこれだけではないのだ。
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死因が大虫
大虫というのは今でいう婦人病である。
上杉謙信はたびたび戦いに行くことができなかったのだがその原因を「腹痛」と言っていた。
この腹痛は生理痛だと解釈することもできる。
また歴代の武将が死んでしまったその死因に「大虫」の文字は上杉しかいないのだ。
つまり悪阻(つわり)や生理痛によって戦いを欠場していたとしても女性だったら仕方があるまい。
死因が大虫なのは戦国武将に詳しい人でも疑問に思っていることのひとつなのだ。
もしかしたら上杉謙信を良く思わない人物たちが女性特有の病気を死因にすることで上杉の名誉を傷つけようと計った可能性も否定できない。
武将として生き残るために必要なのは「力」では無い。戦場の様子を見極めて、引く(逃げる)ことも必要だった。つまり戦国時代で生き残る人物は「臆病」な人間だったのだ。
男もおよばぬ大力無双 と言われていた
「男もおよばぬ大力無双」
上杉謙信を表現した一句であるが、これは男に対して言うべき言葉ではなかろう。
本来であればか弱い女であるが、それでも「男も及ばないほどの力の持ち主」であることを示している。
甲冑から推測される謙信の身長は約百六十五センチほどしかない。
当時の男性と比べると低身長だけど、女性と比べると大身長だね
生涯独身と謎の黒いひげ
これは江戸時代に描かれた上杉謙信の絵であるがあまりに口元のヒゲが目立っている。
もしかしたらこれは本来は女性であるがゆえのカモフラージュなのかもしれない。
上杉謙信は仏教の信者であるが、仏教の教えの中に五戒の契約というものがある。
その中で「邪淫戒」があり、これは夫婦間以外での性行為をしてはいけないことを示している。
この時代の武将で男性で独身だったものは数少なく、さらに女性だったから独身だったのではないか?と言われているのだ。
「邪淫戒」は守ってはいたが、生涯で3人ほど愛したと言われている。その相手は男性だったのか?女性だったのか?はわかってはいない。
側室もないことも明らかになった。
女性で武将というのは時代的に認められておらず、そのために「強く、濃い男性像」を演じていたのでは?と推測できる。
上杉謙信の写真には濃く太いヒゲが描かれているが少し誇張して描かれていると、別の文書で暴かれた。
つまり当時の上杉謙信にはヒゲが生えていないのにもかかわらず、わざわざヒゲを絵描く理由があったのだ。
その理由とは上杉謙信は女性でありそれを敵国にバレないためのカモフラージュするために太く濃いヒゲを描いたのだ。
- ゴンザレス報告書
- 死因が大虫
- 低身長で「男もおよばぬ大力無双」と言われていた
- 生涯独身だった
という点から上杉謙信は女性だったのではないか?と言われているのだ。