日本で最初の霊視・透視に関する裁判は千里眼事件と言われ、その主役は御船千鶴子という女性であった。
ホラー映画で有名な「リング」の貞子の母は御船千鶴子がモデルなのだ。
大多数の人は摩訶不思議な現象を目の当たりにすると、「インチキ」「ぺてん師」と揶揄するが千里眼事件はそのような類のものではない。
早速、事件の全貌へ移ろう。
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“御船 千鶴子”の登場
“御船 千鶴子”(みふね ちづこ)の登場で明治時代は一時期混乱状態に陥る。
1886年ー1911年まで生きた人物でいまでいう超能力者として生きた
彼女が持つ超能力は「透視」。
御船千鶴子は映画リングの貞子の母、山村志津子のモチーフとなった人物である。御船は小さい頃から勘が鋭く、普通の人よりも五感が鋭かった。
過去に死んでしまった人物を見ることもあり、幽霊と会話することもできたのだ。義理の兄に催眠術を掛けられたことで超能力者としての才能が開花し、本格的に透視活動を始めるようになった。このとき御船は22歳だった
街に人の病気を透視によって診断しその病気を治したり、三井合同会社に炭鉱の金発掘の依頼では見事に炭鉱の場所を言い当て多額の報酬を獲得したりした。
京都大学や帝国大学(東京大学)は御船千鶴子の能力に目をつけ、研究をするようになる。透視の実験を繰り返し実施したり、脳波を調べることは科学の進歩的に出来なかったが
繰り返し御船千鶴子にどんな反応が起きているのかを観察したりした。
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長尾郁子の登場
長尾郁子は香川県の判事の妻であり当時は40歳であった。
これまで起きた数々の洪水や地震などの自然災害を見事的中させていたので地元でも有名な存在だったのだ。
透視や霊視のような非科学的なものが世間を騒がしているときにクチコミによってその力が広まり、長尾郁子もまた
京都大学、帝国大学(東京大学)の研究の対象となったのだ。同じ時期に活躍し、新聞を騒がせていた御船千鶴子の存在と相まって、長尾郁子も同じように有名になっていたのだ。
そして徐々に徹底的に検査・審査されることになっていった。そして引き起こされたのが千里眼事件である
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千里眼事件とは
長尾郁子、御船千鶴子が透視を行ったのだがこれに対してインチキを付ける事件が起こった。
実験は超能力者の2人だけではなく帝国大学の福来友吉博、今村新吉博士も立ち会いのもと行われたのだが、この実験の結果に対して「詐欺をした」「ただのトリックである」と反論され、
実際に透視を行うために封筒の中に入っていた物質を御船千鶴子が故意に入れ替えた!と騒がれたのだ。
というのもこのような学識論者たちの立ち会いの元で行われた実験には確かに不備があったのだ。
二人の超能力者が透視を行うときのスタイルに問題があった。
それは
- 透視を行うときには立ち会い人たちは必ず後ろ向きにならないといけない
- 御船が透視を行うときには立会人たちは別室で待機をしておかないといけない
- 時間制限を設けてはならない
この3つである。
封筒の中になにが入っているのか?は手をかざすだけで解るのは凄いことだがしかし、立会人たちが見えないようにしないと透視を行わないということから実は超能力者なんかではなくてただのインチキ、ただのマジック、共謀したらそんなの簡単にすることができるだろう
という反論者が多くいた。
確かにこの実験の様式は雑であったことが間違いない。
そしてこの千里眼は本当に存在するのか?どうかを世間が言い争っているうちに御船千鶴子は亡くなってしまったのだ。御船千鶴子は自分で重クロム酸を購入し、飲んではいけないものを服毒してしまった。
服毒してから半日だけ意識を取り戻すことはあったのだが、急に容態が悪化し、亡くなってしまった。
御船千鶴子が毒を飲んで倒れたときから亡くなるまでなんと医師が12人体制で治療を行った。
御船千鶴子は確かに日本中をパニックに陥れてしまったのだが、彼女は地元の町では愛され、彼女が持つ透視霊視能力で救われた人間は数多くいることは事実である。
人間は自分の常識を超えた現象を信じない。人間は自分の認識能力が超えた存在を疑い、否定する。
その被害者となってしまった御船千鶴子。安らかに眠ってもらいたい。
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