最後の晩餐には様々な謎が隠れている。

誰でも一度は最後の晩餐の絵を見た事が有るだろう。

これは死を予期したイエスキリストとその弟子達が最後に食事をしているシーンが描かれた。

しかしこれはある意味で暗喩であり、隠された”意味”がある。

隠れた意味とは、実は最後の晩餐で食べているのはパンではなく「キリストの肉体」だったのだ。

この最後の晩餐に隠された本当の意味を今回お話ししていこう。


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レオナルドダヴィンチの作画

レオナルドダヴィンチが書いた最後の晩餐。

これは世界の文化遺産としても登録され、
芸術品としてだけではなくイエスキリストの謎を解き明かすものではないか?とも言われており

古代の文明を現代に伝える文化的な遺産でもあることは知っているだろう。

近年ではレオナルドダヴィンチはこれらの作品を通じて「あること」を後世に伝えていたと推測されている。

映画「ダヴィンチコード」では後世に伝えたい本当のメッセージが絵に込められていることを題材として扱っており、、最後の晩餐にも多くの秘密が隠されていることも解っている。


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従来とは異なった解釈

描かれている人物達が食しているものは

  • 果物
  • パン
  • ワイン

イエスキリストとの最後の晩餐でこれらの食べ物を食べていることは見て取れるのだが、

彼と彼の弟子達が食べているのはこれらの食べ物ではない
これらの食べ物はある意味で「暗喩」なのだ

どういうことなのか?説明したい。

聖書にはこのような記載がある。

「わたしは命のパンである。あなたたちの祖先は荒れ野でマンナ(神が民に与えた愛の食べ物)を食べたが、死んでしまった。しかし、わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」(第6章46節)

「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもいつもその内にいる」(第6章53節

ん?

どういうことだろうか?

聖書のこの2文を見たあとで最後の晩餐を見ると本当の意味がわかる。

つまり、これはどういうことかというと

描かされている食べ物は実はイエスキリストの肉体だった!ということだ。

つまり最後の晩餐では自分の弟子に「自分の肉体」を食べされている絵なのだ。

近年、最後の晩餐はキリストの魂を弟子たちが分け合いながら取り入れているという解釈が有力的になっている。

自分の肉体をパンや、魚、果物、自分の血をワインと見立ててそれを弟子達に振る舞うことで自分の魂、命を弟子達に吹き込んでいる。

人間が生きるということはなにかしたらの犠牲の上に成り立っている。

そのことをレオナルドダヴィンチはイエスキリストを通じて私たちに伝えている。

ただ表面だけに囚われることなく、もっとその絵が描かれた背景を知ることで本質的なものの見方をすることができるだろう。

裏切りのユダが食事に参列している理由

キリストが処刑されたのは、ユダによる裏切りであることは知られている。

ではなぜキリストを裏切ったユダが食事に参列しているか?というと、
裏切ったユダにも、キリストの魂を受け継いで欲しかったからではないか?と考えられている。

ユダは第12番目の使徒だが、0番目が存在している説もあり、ユダは12番目ではなく、本当は第13番目の使徒であると考えられてもいる。

世界的に13という数字は悪魔の数字であり、悪魔を背負ったユダに対しても慈しみの精神をキリストは与えたかったのだ。

他の弟子たちはユダが裏切ったことも知っているがキリストと弟子たちの最後の晩餐では皆平等に仲良く時を過ごしている。

日本語の表現として「爪の垢を煎じて飲む」という表現があるが、
「キリストの肉体を煎じて食す」ことで、キリストの尊いところにあやかっているのだろうか?

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