四国と本州を結ぶ連絡橋は実はアメリカの命令で政府が作らされたという都市伝説を知っているだろうか?
なぜ3つの橋が作られたのか?疑問に思っている人も多いはず。
本州四国連絡橋は
神戸ー鳴門ルート「石海峡大橋」、児嶋ー坂出ルート「瀬戸大橋」、尾道ー今治ルート「しまなみ海道」があり、これらのルート開通は国家の一大プロジェクトであった。
目的は四国4県に住む人々の生活の質を上げるため、防災のため、物流の流れを改善することであった。
1991年5月に3つのルートが完成し、一大プロジェクトは完成したのだ。
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橋が作れた時に使われた大義名分
なぜ構想してからいきなり工事に着手し、そして3つの橋を作ったのか?
先ほどの話したように政府は「人々の生活の質を上げるため、防災のため、物流の流れを改善すること」と大義名分を掲げていたが、
よくよく考えてみれば、北海道と本州を結ぶ橋は津軽海峡大橋の一つしかなく、
さらに九州と本州を結ぶ橋は関門橋の一つしかない。
四国と北海道のGDP(総生産量)を比較しても北海道の方が多い。
経済的なことを考えれば、九州や北海道の方が「人々の生活の質を上げるため、防災のため、物流の流れを改善する」必要があるのではないか?
と考えられる。
このように思うと、なぜ四国には本州を結ぶ連絡橋が3つもあるのか?
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アメリカの命令で作れた説
ここで最も有力なのが、「アメリカの命令で橋を作らざるを得なかった説」である。
これまでもアメリカの命令で郵政民営化を実行し、アメリカに5兆以上の献金を小泉総理大臣は行った。
当時のアメリカはロシアと休戦状態だったが、いつ戦争が勃発してもおかしくない関係であり、アメリカを攻める前に日本を攻める計画があった可能性がある。
具体的には日本国にある「アメリカ軍基地」の襲撃である。
日本には配備部隊として、陸軍、海軍、空軍、海兵隊、湾岸警備隊の5つあり、
神奈川県、長崎県、青森県、山口県、沖縄県に配置されている。
(北海道にはサンフランシスコ条約締結以降にアメリカ占領と歴史がなく、さらにロシアが北方領土を占領しているため軍基地を設立することができていない。)
本州と九州がロシア軍に襲撃された時に、アメリカ軍が来やすいように本州と四国を結ぶ連絡通路を作られたと言われているのだ。